創業から170年以上経った今でも、多くの人から支持を得る
フランスの偉大なジュエラー「カルティエ(CARTIER)」
世界5大ジュエラーのひとつで、誰よりもいち早くプラチナを取り入れた「ガ一ランドスタイル」や
ア一ルデコの時代に数多くの名品を生み出し、宝飾業界に大きな功績を残した物語。
今回は、その「カルティエ」の歴史について2回に分けてお話をさせて頂きます。
歴史に残る第一歩「ガーランドスタイル」
1847年、「ルイ・フランソワ・カルティエ」(1819-1904) が師匠のアトリエを引き継ぎ、
創業したフランスのジュエラー。
100年以上の長きにわらり時代の変化を取り込みながら、巧妙な商売を続けてきたジュエラーです。
店は74年に息子の「アルフレッド」(1841-1942) に引き継がれます。
更に98年にはその息子である「ルイ」(1875-1942)が加わります。
創業から1900年頃までは、ナポレオン一族を顧客にしたり、腕時計を試作するなどの活動はあったものの、
カルティエが作ったジュエリーには大きな特徴があるわけではなく、他のブランドと比較して
売れることに拘り、ある意味特徴の少ない作品が多かったといわれています。
更に、大半の商品は社外で製造されていたそうです。
しかし、現在のカルティエの基礎は、父親アルフレッドに指導を受けた
三人の子孫が造り上げたといっても良いでしょう。
それが、創業者の孫の世代にあたる「ルイ」と「ジャック」(1884-1941)と「ピエール」(1878-1964)の3兄弟です。
1899年、現在のラ・ぺ通りに転居しました。
カルティエが、最初に取り組んだオリジナルのデザインは、べル・エポックと呼ばれた時代に、
プラチナを地金に使用した「ガーランドスタイル」のジュエリーです。
これこそが、ジュエリーの歴史にカルティエの名を刻む第一歩となりました。
ガーランドスタイルとは、「花綱飾り」とも呼ばれるもので、様式化した花と葉模様を繋ぎ合わせたデザインの
ジュエリーです。
ガーランドスタイルは、旧世紀末のフランスでマリー・アントワネットが愛好したデザインとして知られています。
更に、フランス第二帝政期にウージェニー皇后も好んで使っていたそうです。
カルティエは、その頃に自社での加工がやっと自在にできるようになったといわれています。
地金にプラチナという新しい貴金属を使うことで、繊細かつ軽快なジュエリーをつくりだしました。
銀と異なり、細い線状の爪で宝石を留められるプラチナによって、それまでぽってりと重かった印象のジュエリーが軽快なものへとなりました。
この時代のカルティエのプラチナ細工は、極めて優れており、ジュエリー史上で最も
見事な作品のひとつとなっています。
しかし、女性の社会進出が始まって服装が軽微になるにつれてガーランド様式の姿は消えてしまいますが、
この時に習得したプラチナ細工の加工技術とシンプルな線の使い方は、
ジュエリーの歴史における次のアール・デコの時代ヘと繋がるものになりました。
そしてこのアール・デコの時代が、カルティエにとっての頂点の時代となりました。
創業から飛躍するまでの長い歴史の中で3人の子孫による活動が
今のカルティエに繋がっているんですね。
次回は、続きの「アール・デコの時代」についてお話をさせて頂きます。