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宝飾の街甲府なのです

宝飾の街甲府なのです

こんにちは、甲府宝飾広報の浅利です。

今回は私たちのホームタウン「甲府」について少しだけご紹介したいと思います。

まずは、なぜ甲府という地名なのか?

由来は斐の国(現在の山梨県)の中から甲府となりました。

府中とは政治の中心の場を指します。

つまり甲斐の国の中心地という意味になります。

そんな甲府市、非常に残念ながら全国的な知名度は決して高くない街であります。

話題としてメディアに登場するのは、本日の最高気温を記録した、とか・・・あとは何だろう・・・

と、多くの方はお思いになるのではないでしょうか。

ですが、実は○○○な街、というものも沢山あるんです。

今回はそんなお話しを少しだけしてみたいと思います。

まず初めにご紹介させていただきたいものはジュエリーです。

立場上、ジュエリーは外せませんよね。

甲府駅南口 ロータリーのモニュメント

甲府の玄関口、甲府駅南口を降り、少し歩くと眼前に【宝石の街 甲府】のモニュメントが鎮座しております。

それは何故か?

実は・・甲府市は日本でも有数のジュエリーの生産地として国内製造のパイオニアとして業界内では有名なのです。

地場産業として非常に盛んな活動が展開されていて、材料の手配、ジュエリーデザイン、製造、販売など、ジュエリーに関わる全ての業者が小さな甲府市にギュッと集まり一大生産地として業界内にその名を響かせています。

ジュエリーの関連企業数はゆうに1,000社を超え、

こと製造事業者数においては全国の36.9%(山梨県HPより参照)が甲府に集中しています。

なぜそれほど多くのジュエリー関連事業者が集まっているのか・・・

このお話は長くなってしまうので、またの機会にじっくりとお話させていただきたいと思います。

つまり何が言いたいのかというと、

正に今あなたが身に着けているジュエリーが、実は甲府で作られたジュエリー!なのかもしれません。

という事です。

甲府駅南口 武田信玄公像

続いては甲府市、というより甲斐の国という方がしっくりとくる武田信玄公です。

以前にも書きましたが、山梨にいらした際には「信玄」と呼び捨てにしてはいけません。

信玄公と呼んでくださいね。

この信玄公、言わずと知れた戦国時代の大大名で、戦国最強と謳われた武田騎馬隊を中心に活躍し、あの織田信長や”天下人”徳川家康を心底恐れさせたその才覚はすさまじく、甲斐の虎として語り継がれており、現代も山梨県民の御屋形様であられると思っております。

また、武田と言えば【金】が有名です。

武田家が用いた金は甲州金と言われ、非常に金の純度が高く高品質の金貨であったそうです。

甲斐の国は山に囲まれている不利があったものの、その山から大量の金が採掘されたことにより、足りない物資が補給できたり、人材登用が可能になり、精強な武田軍団が作り上げられました。

金(ゴールド)と甲府は切っても切れない関係はこの時代にはすでに始まっていたんですね。

また、信玄公が左手に持っている数珠は水晶製であったそうです。

甲府市は水晶の産地としても有名で”甲州水晶”と呼ばれ、こちらも非常に透明度が高く質の良い水晶として全国に流通していきました。

甲府の水晶についても、非常に長くなってしまうので、後日お話させていただきたいと思います。

他にもご紹介したいこと・ものがあるのですが、

本日はここまでとさせていただきたいと思います。

本日もご覧いただきありがとうございました。