歴史

20世紀を代表するジュエラー グラフ(GRAFF)の歴史

20世紀を代表するジュエラー グラフ(GRAFF)の歴史

20世紀に誕生した代表的なジュエラーひとつ。
創業から約60年、一代で築いたイギリスのハイジュエラー「グラフ(GRAFF)」
思わず目を引く高品質で大粒のダイヤモンドが特徴。
極上の宝石のみを取り扱う事を徹底したスタイルで、ブルネイや中東の富豪に愛されハイジュリービジネスの基盤といえるものを築いてきました。
今回はその「グラフの歴史」についてお話をさせて頂きます。

成功に向けた極上品だけを扱うスタイル

グラフは、1956年に「ローレンス・グラフ」(1938-)によってロンドンで創業された宝石店から始まったジュエラーです。
ローレンスが15歳の時にロンドンの宝石問屋街ハットンガーデンの工房で見習いとして働き始めた53年がジュエラーとしての道へ進むきっかけになったそうです。
そこから開業し始めてわずか60年程で、世界最高の宝石店をつくり上げた近年希に見る創業者型のジュエラーだといわれています。
ロシア系移民の息子として生まれたローレンスは、一般的な教育をあまり受けずに世に出たそうです。
その為、手探りでなんとか努力を重ねてジュエリーの世界を切り開いていったんですね。

ローレンスが成功したきっかけは、ビジネスを英国ではなくシンガポールを中心とした地域のインドネシア、ブルネイ、フィリピンなどで行ったことにあります。
顧客に超富裕層の富豪を持ち、取引をしていくことで成功に繋げていったといわれています。
特にブルネイ国王一家との取引がは成功への大きな影響を与えていたそうです。

ローレンスが取り扱っていた宝石は、当時から異彩を放っていたそうです。
売れるものをつるというスタイルではなく、小さくても極上の品質の物のみを扱うというスタイルだったそうです。
このスタイルこそが、極めて疑い深く対応が難しい超富裕層に入り込めた秘訣だったんですね。

大きな宝石で話題に

60年、ローレンスは「グラフ・ダイヤモンド社」を設立します。
更に、その2年後、ロンドンのナイツブリッジに店を開き、サウジアラビアの王族や中東の石油王を新しく顧客にし、大きな宝石を販売し続けていきます。
その当時から、インドやブラジルからアメリカに渡ってきていた伝説と話題に包まれた有名なダイヤモンドを買い始めます。
中には、微かに青色を帯びた70ctのインド産原石「アイドルズ・アイ」、メキシコ皇帝の名前に由来する42ctの「エンペラー・マキシミリアン」などがあったそうです。

更に、新しく採れた原石を買い取り、自らカットする事業にも取り組みました。
大きなダイヤモンドを取り扱うことで、新聞などのメディアにも話題になり、「グラフ」の名前を世に知らしめる効果があったそうです。
その後98年には、ダイヤモンドの原石を入手するために南アフリカの会社を買収します。

資産を扱うジュエラー

ローレンスの優れた才能は、世の中のお金の流れに敏感なことだといわれています。
中東のオイルマネーが衰退し始めると、2000年には新たにアメリカへの進出をし、その後もドバイ、バーレーン、モスクワと出店を続けます。
07年には東京にも進出を果たしました。

「グラフ」のジュエリーには、際立った特徴があります。
妥協を許さないず、価格帯の低いものは取り扱わないスタイルでやってきたからこそ店舗も増やしてこれました。
「グラフ」のジュエリーは高価な宝石のみを使用しているそうです。
ダイヤモンド、主にイエローを中心とするカラーダイヤモンド、最高級のルビー、サファイア、エメラルドです。
平均単価でいえば、1000万円を超えるものばかりだそうです。
なので、宝石を資産価値として一種の資産として考える人には最適なジュエラーだといわれています。
産出量に対して、その宝石を求める人の方が多い、資産価値と需要のある宝石のみを取り扱っているといえます。