ジュエリーの豆知識

呪いのホープダイヤモンド【後編】

呪いのホープダイヤモンド【後編】

そのダイヤモンドを手に入れたものは不幸になる。
深く青く神秘的な輝きを放つ「ホープダイヤモンド」
数あるダイヤモンドの中でも非常に稀な色と輝きで紫外線をあてると赤く光るといわれているこの不思議なダイヤモンドは、
世界のジュエリー史に名を刻む非常に貴重な宝石です。
しかしその美しさからは想像もちかない、様々な悲劇が招かれていたといわれています。
今回は、その「ホープダイヤモンド」について、
前回に続いて後編のお話をさせて頂きます。

インドで発見されてからフランスの王に受け継がれて、その後も海を渡りイギリスの王の手に渡り所有者を替えては転々としてきた呪いのブルーダイヤモンド。
その後、売却され市場に出たこのダイヤモンドは有名な宝石商「ダニエル・エリアーソン」の手に渡り、
その後ロンドンの宝石収集家「ヘンリー・トーマス・ホープ」によって競り落とされ、ホープ家4代に渡って所有することになったそうです。

悲しみの青い光を放つこのダイヤモンドは、ダニエル・エリアーソンを落馬事故で急死させ、
次いで、ヘンリー・トーマス・ホープも急死させます。

更にその約30年後には、大銀行家として巨額な富を誇っていたホープ家を破産へと追い込んで行きました。

その後、このダイヤモンドは1851年の大博覧会に展示され、ホープ家が長きにわたって所有していたことから、
「ホープ・ダイヤモンド」と呼ばれるようになりました。
ホープ家の破産によって、他の多くの宝石と共に競売に出されたホープ・ダイヤモンドは、
何度も競売にかけられ、所有者をかえて転々としていました。
一時フランスに戻りましたが再び売られ、やがて海を渡ってアメリカに移り
1911年頃、フランスの宝石商「ピエール・カルティエ」によって「エヴェリン・ウォルシュ・マクリーン」に売却されました。
このマクレーン婦人にも不運が続き家族の死や家庭が崩壊し、死去します。

そして1949年負債を抱えていたマクリーン家の相続人によってホープダイヤモンドは、
アメリカの宝石商「ハリー・ウィンストン」に売却されます。
ハリー・ウィンストンは、10年に渡り展示会やチャリティーイベントでホープダイヤモンドを展示していたそうで。
その後、ハリー・ウィンストンはアメリカのスミソニアン博物館に寄付したそうで。

そのホープダイヤモンドは現在でもスミソニアン博物館で展示されているそうです。

たぐい稀なる美しさゆえに、権力者や富豪たちの絢関豪華な人生に、
数々の悲劇をもたらしていったホープダイヤモンド。
それはかつてインドの村で、発見され女神シータ像の目にはめられていたこのダイヤモンドを
盗まれてしまったヒンドゥー教の人々、寺院の僧侶の悲しくも強烈な怨念なのかもしれません。

この話には諸説ありますが、今でも博物館では一番人気の展示物であり、
人々を魅了し続ける美しさをと魅力があることには変わりなく、価値あるものとして
歴史と共に継承されてきた偉大さを強く感じます。