ジュエリーの豆知識

呪いのホープダイヤモンド【前編】

呪いのホープダイヤモンド【前編】

そのダイヤモンドを手に入れたものは不幸になる。
深く青く神秘的な輝きを放つ「ホープダイヤモンド」
数あるダイヤモンドの中でも非常に稀な色と輝きで
紫外線をあてると赤く光るといわれているこの不思議なダイヤモンドは、
世界のジュエリー史に名を刻む非常に貴重な宝石です。
しかしその美しさからは想像もつかない、様々な悲劇が招かれていたといわれています。
今回は、その「ホープダイヤモンド」について、
2回に分けてお話をさせて頂きます。

このダイヤモンドを発見したのは一人の貧しい農夫だったそうです。
いつものように荒れた河原を耕していた農夫の鍬先に、硬い小石が当たりました。
それは今までに見たこともない美しく透明な青さをした112カラットのダイヤモンドでした。
農夫が見つけた素晴らしいダイヤモンドの噂はまたたくまに村中に知れ渡りました。

その後ヒンドゥー教の寺院で女神シータ像の目にはめられ使われていたそうです。
しかし、その目にはめられていた片方のダイヤモンドが何者かによって盗まれてしまったことから
寺院の僧侶によってそのダイヤモンドに呪いがかけられたといわれています。

そして、そのダイヤモンドはフランスに渡っていたことが分かりました。
17世紀、冒険家でもある宝石商のフランス人「ジャン・バティスト・タヴェルニエ」は世界各地の王宮を訪ね歩いて商売をしていました。
1640年頃のこと、彼はムガル帝国の王宮で、当時絶大な権力を誇っていた第6代皇帝「アウラングゼーブ」に王宮内の宝石を見せてもらいました。

タヴェルニエの冒険記には、その中にひときわ神秘的で、悲しい涙のような色をしたブルーダイヤモンドがあったことが書かれていたそうです。
そして、全盛を誇っていたムガル帝国も、アウラングゼーブ皇帝の晩年には反乱が相次ぎ、急速に滅亡への道をたどることになっていたそうです。

1668年、タヴェルニエが6回目の東洋の旅からフランスへ帰国してたとき、
当時、太陽王と呼ばれていたフランス王ルイ14世に25個の美しいダイヤモンドを贈りました。
実は、その中にはあのブルーダイヤモンドも含まれていたそうです。

ルイ14世は、タヴェルニエを貴族会合に出席させるなどと大変喜び、
その時タヴェルニエには、10万ポンドの金貨が与えられていたそうです。

タヴェルニエはこの大金で広大な屋敷を建てて、一生を安楽に暮らそうと考えていましたが、やがて破産します。
そして再び、年老いた身体を奮い起こして旅に出かけますが、旅先のモスクワで病にかかり、一人寂しく息を引き取ってしまいます。

その後フランスに渡っていたブルーダイヤモンドは、67.5カラットのブリリアントカットに加工され、
フランス王冠に飾られていました。
しかし、きらめくような繁栄も長くは続かず、次の皇帝となったルイ16世は妃であるマリー・アントワネットと共に断頭台によって処刑されてしまいます。

フランス革命の後、ブルーダイヤモンドはしばらく姿を消してしまいます。
そして30年後の1830年頃、45.5カラットへと更にカットされた姿で登場します。
おそらくフランス革命の混乱期に何者かによって持ち出され、出所を不明にするためにカットし直されたのだといわれています。

その後、そのブルーダイヤモンドはイギリスのジョージ4世のてに渡っていたことがわかります。
しかし、ジョージ4世はイギリスの歴史上最も国民から不評であったとされ彼も病で亡くなったそうです。

その後も所有者を替え、多くの人々に不幸をもたらしてくホープダイヤモンド。
次回はその名前の由来ともなったホープ家の手に渡ることになったお話からさせて頂きます。