ジュエリーには古くからに長い歴史があります。
昔からジュエリーは、非常に高価で貴重なものでした。
現在残っている数も極端に少ないため現在私たちがアンティークジュエリーとして手にすることが出来るのは、18世紀以降につくられてものがほとんどといわれています。
時代とともに進化してきた現在のジュエリーのルーツともなるアンティークジュエリーの歴史について、2回に分けてお話をさせて頂きます。
ナポレオンとジョージアン・ジュエリー
アンティークジュエリーの歴史は、英国の王統治時代を基準に考えるのが一般的といわれています。
文化の中心であったフランスが、革命後、王家のジュエリーの散逸とともに失速しました。
しかし、ナポレオンの登場によって一時期盛り返しますが、時代の中心は英国へと移り変わっていきます。
18世紀前半からヴィクトリア女王の即位までのジョージ1世から4世の時代を「ジョージアン」と呼ばれています。
この時代のジュエリーは、まだ金や宝石の産出量がごくわずかであった為、デザインにも限られた素材で最大限の効果を生むような工夫が施されているのが特徴でした。
モーニングジュエリーと英国の繁栄
1837年、ヴィクトリア女王が即位すると英国は、産業革命と植民地からもたらされた莫大な富で黄金時代に入ります。
更に、この時代の初期には次々と金鉱が発見され、ジュエリーも金を贅沢に使った華やかなものが増えていったそうです。
1861年、最愛の夫アルバート公が亡くなり、ヴィクトリア女王が長い喪に服した中期を経て、黒い宝石ジェットを用いた「モーニングジュエリー(mourning jewelry)」が流行るなど、英国は再び活気を取り戻します。
ルネサンス・スタイルの「ホルバイネスク・ペンダント」と呼ばれる大ぶりの華やかなジュエリーがつくられたのもこの時代です。
市民階級の登場とともに、ジュエリーにも工業化による大量生産品が現れるなど、玉石混合で、ありとあらゆるものが混在していた時代だったそうです。
アール・ヌーボー
1890年代には、美術工芸の世界に「アール・ヌーボー」のスタイルが登場します。
アール・ヌーボーはフランス語で「新しい芸術」を意味していて、植物の模様や流れるような曲線を用いたデザインが特徴です。
この新しい芸術運動によって、「ルネ・ラリック」という天才的なフランス人を生み出すことになりました。
そんな彼にインスピレーションを与えていたのは浮世絵などの日本美術である当時のジャポニズムでした。
彼は16歳で宝飾細工師に弟子入りし、20歳になるころにはカルティエをはじめとする一流のジュエラーから仕事を受けていたそうです。
当時の宝飾業界では、ダイヤモンドやサファイアなどの高価な宝石のみを主に用いることが一般的でした。
しかし彼は、その常識にとらわれず様々な宝石や天然石を使っていたそうです。
そのデザイン性の高さから、上流階級の人々から熱烈な支持を得ていたそうです。
その後、香水商コティとの出会いにより、ガラス工芸の道へと足を踏み入れることになったそうです。
香水瓶の制作に、それまでに培ってきた宝飾細工の才能を発揮して、ガラス工芸を芸術の域にまで高める程であったそうです。
次回【後編】に続きます。