歴史

日本の老舗ジュエラー ウエダジュエラー(UYEDA JEWELLER)の歴史 【後編】

日本の老舗ジュエラー ウエダジュエラー(UYEDA JEWELLER)の歴史 【後編】

日本で最も歴史のある老舗ジュエラー。
華やかな鹿鳴館時代に創業者された
「ウエダジュエラー(UYEDA JEWELLER)」
創業から130年以上も続き、4世代に渡り継承されているジュエラーです。
上品で気品のある一流品を取り揃えた欧州型の
ウエダジュエラーの歴史について前回に続き、後編のお話をさせて頂きます。

充実した経営体制

日本のジュエリー市場において、ウエダジュエラーの特徴としてあげられるのが、
売る商品に関しての関心や知識など店主が熟知したうえで販売していることです。
更に、全ての商品に経営の目が行き届いている事だといわれています。
当時、店舗では全く別の場所でつくられた商品を仕入れて売られる事が主流で、
その価値よりも利益で動くことが一般的だったなかで、
目の行き届かない商売はせず、売る商品全てに店主の目が配れる環境があるウエダジュエラーは、
日本では非常に珍しい欧州型のジュエラーだったそうです。
このことからウエダジュエラーの経営姿勢や商品は信頼に繋がっているんだと思います。

100周年を迎えた84年頃には、本格的に日本人顧客を中心とした活動が主だっていました。
これまでの銀器、真珠や翡翠製品から、ダイヤモンドを中心とするジュエリーヘと進出していきます。
また、仕入れやデザインなどを見直し近代化を進めるとともに、
日本で初めての結婚指輪の広告を出すなど広報活動にも力をいれて、日本へのジュエリーを普及させていったといわれています。

現在、三代目の新太郎は会長になり、四代目の「友宏」が社長を継ぎました。
また、姉の「嘉恵」もデザイナーとして独立して活躍しているそうです。
その後も、店舗の拡大もなく1店舗のままで見事なジュエリーを生み出し続けています。

ウエダジュエラーのコンセプトには、
「100年愛されるジュエリーをつくり、世代を越えてお付き合いの出来るプライベートジュエラーを
目指しています。」とあります。
一期一会を大切に一人一人の顧客に丁寧に対応していることが、ウエダジュエラーの
100年以上続いている長い歴史からもよく分かると思います。

家業の多いジュエリー業界でも、事業の継続や継承は非常に難しく世界的な規模で見ても四代続くジュエラーは
極めて貴重なだと思います。
ウエダジュエラーの更なる発展を期待しています。