歴史

世界5大ジュエラー ヴァンクリーフ&アーペル(VAN CLEEF&ARPELS)の歴史

世界5大ジュエラー                       ヴァンクリーフ&アーペル(VAN CLEEF&ARPELS)の歴史

鮮やかな色石が魅せる絵画のようなジュエリーが特徴のジュエラー。
「ヴァンクリーフ&アーペル(VAN CLEEF & ARPELS)」
世界5大ジュエラーのひとつでもあり、パリのヴァンドーム広場のある5大宝飾店「グランサンク」のひとつでもある老舗ジュエラーです。
今回は、その「ヴァンクリーフ&アーペル」の歴史についてお話をさせて頂きます。

始まりは二人の結婚

「ヴァンクリーフ&アーぺル」は、
オランダ人である、ダイヤモンド商で宝石細工職人の息子「アルフレッド・ヴァンクリーフ」(1873-1938)と
フランス人である、宝石商の娘「エステル・アーペル」が結婚したことで始まりました。

1906年、ヴァンクリーフは、エステル・アーペルの兄であるフランス人の
「シャルル・アーぺル」(1880-1951)と「ジユリアン・アーぺル」(1884-1964)と共に、
ヴァンドーム広場22番地に最初のブティックを開きました。
末弟ルイ(1886-1976)は、後の1912年から加わることになります。

ヴァンクリーフ&アーペルは他のジュエラーとは比較的に歴史が浅く、若い方のジュエラーです。
しかし、そうは言っても100年以上もの歴史があることには変わりありません。

成功への道

ヴァンクリーフ&アーペルの成功には、まずパリへの進出にあります。
まず、開業を、最も高級といわれるお店が並ぶ「ヴァンドーム広場」で行なったことが大きく影響していて、
現在では、「グランサンク」と呼ばれる5大宝飾店のひとつとされています。

また、もうひとつに一族から途切れることなく人材が出ていたことだといわれています。
優秀な人材が常に加わっていることも100年以上続くジュエラーに大きく影響しているんですね。

当時、アール・デコ隆盛の時期を通じてヴァンクリーフ&アーペルが世に出してきた作品は、
自然をモチーフにした特徴的なものでした。
花や、古代エジプト文字のエログリフやパピルス、古代エジプトで太陽神の象徴として神聖視されていたコガネムシのスカラベ、蓮などの植物を描かれた作品でした。

また、「カリブレカット」と呼ばれる技法で、描いたデザインに合わせて地金枠を作り、
その枠に合わせて石をカットし、爪を使わず縁をわずかに倒して埋め込むように石を留めるという技法を使い、
赤いルビーでバラを、緑のエメラルドで葉を、他の箇所には全て白いダイヤモンドを埋め込まれた作品などがつくられていたそうです。

しかし、このような作品をつくるのは高い技術が要して非常に大変なことで、製品の価格はその分高価なものになります。
枠に合った石を研磨する職人は、常に必要とされますし、
実際に製品に留まっている石の量以上に研磨によって磨り落される石は多く、
このことから、見かけよりもはるかに高価なものになります。

20年代から30年代にかけて、ヴァンクリーフ&アーペルは自然などをモチーフにしたデザインとカラフルなつくりのジュエリーを多く生み出しいます。
また、ジュエリーだけではなく女性の社会進出にともない需要が増えた化粧道具入れやバッグ、時計などの小物類もジュエリー素材でつくられていました。

ミステリーセッティング

こうした作品を生み出していく中で誕生したのが、ヴァンクリーフ&アーペルの名をジュエリー史に残す事になった
「ミステリーセッティング」と呼ばれる留めの技法です。
33年にミステリー技法の特許登録がされています。

石を留める際に、地金の爪がまったく見えないように留める技法で、
どの様に留まっているのか見当がつかないことからミステリーセッティングと呼ばれているそうです。
技術的には石の側面に溝を彫り、そこに金属線を通して石を留める技法です。
これは、非常に気の遠くなるような作業ですが、ヴァンクリーフ&アーペルが生み出してきた作品の
ルビーやサファイアのみで留められた敷石状のデザインは、シンプルだが圧倒的な存在感のある傑作といえます。

戦後も活動の幅を広げていき、第二世代であるアーぺル一族の「クロード」、「ジャック」、「ピエール」などの手で、フランス国内だけではなく、ニューヨークなどの世界各地に進出しました。

その間にも、モナコ公国皇太子レーニエ3世とグレース・ケリーの結婚式や、
イランのファラ・パーレヴィ皇后の結婚式などでバンクリーフ&アーペルのジュエリーは支持され納めてきました。
73年には、フランスのジュエラーとして、初の日本への進出果たしていて、ビジネス感覚の鋭さを感じられるジュエラーです。
そして、さらに2016年には新たな店舗を銀座に出店しました。
同年ヴァンドーム広場でのブティックも22番地に続き、20番地、24番と拡大され、
更なる飛躍と共に健在しています。

今でも、創業当時のブランドイメージを、最も鮮明に保持して継承しているジュエラーで、
いかに一族の存在がジュエラーという家業には非常に大切で重要なものなんだと感じました。