歴史

世界5大ジュエラー ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)の歴史

世界5大ジュエラー ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)の歴史

上質な宝石を使うことにこだわり、キングオブダイヤモンドと呼ばれるジュエラー。
「ハリーウィンストン(HARRY WINSTON)」
世界5大ジュエラーのひとつで、宝石の価値や本来の美しさを世に知らしめたジュエラーです。
世界中の貴族やスターたちを魅了してきた「ハリーウィンストン」の歴史についてお話をさせて頂きます。

ハリーウィンストンの始まり

ハリーウィンストンは、アメリカ人「ハリー・ウィンストン」(1896-1978)によって、ニューヨークで創業されたジュエラーです。

父親である「ジェイコブ・ウィンストン」は、ロサンゼルスで、宝石店を営んでいました。
ハリーウィンストンは、父親の店で普段から宝石をよく目にしていて、宝石に関する修業や訓練をそこで習得していたそうです。
生まれ持った才能を活かし、若くして宝石の目利きに長けていたウィンストンは12歳の時に、
ガラスの破片として売られていた2カラットのエメラルドを質屋で見かけ、見事に本物の宝石だと見極めて25セントで購入しました。
なんとその石は2日後に800ドルで売れたそうで、ビジネスセンスも発揮していたそうです。

1920年、24歳のウィンストンはニューヨークに戻り、五番街の小さなビルに、
自身の会社「プレミア・ダイヤモンド社」を開業します。
この独立が、ハリーウィンストンの始まりです。
数年間は、その五番街に伸びる「ダイヤモンド街」と呼ばれる場所で商売を続けていましたが、
コネクションが重要とされるダイヤモンド卸業界での厳しい世界を知り、
新たに、まだ誰も専門にしていない分野を模索します。
そこで、資産価値の高い大きな宝石を主に扱うことを考え始めたそうです。

大きな宝石をで飛躍

資産価値の高い大きな宝石に目を付けたウィンストンに転機がきました。
19年、第一次世界大戦が終戦を迎え、欧州では多くの王国が崩壊します。
そして、多くの宝石を資産として持ち、国を逃げた貴族たちは、
戦争で無傷だったアメリカで、その宝石を競売にかけます。
更にアメリカ国内でも、遺産相続が上手く出来ていなかった富裕層が多くの宝石を手放していたそうです。
その様なことから、ウィンストンは名立たる富豪たちが手放した大きなサイズの宝石を沢山仕入れることができました。

そして、ウィンストンはその宝石を研磨し直し、当時の流行りに沿った新たなジュエリーに生まれ変わらせることで自身のビジネスを築いていきました。
しかし、欧州では、古くから受け継がれた歴史のある宝石を研磨し直して使用するウィンストンには、非難の声もあったそうですが、
アメリカを中心に活動をしていたウィンストンは更に飛躍して、32年にニューヨークで「ハリーウィンストン社」を設立しました。

自らのコレクションで社会貢献

第二次大戦が終わったその後も、ウィンストンの大きな宝石をの仕入と販売は続きました。
そして、アメリカ人を中心に顧客を増やしていましたが、更にインド人やアラブ人へと広がりをみせていきます。

49年頃、ウィンストンは売らずに所有していた多くの宝石を集めて展示会を開きます。
それは、4年間に渡り「コート・オブ・ジュエルズ(宝石の宮廷)」という展示会で、アメリカ各地で展開されていたそうです。
しかも、その収益を病院などの財団に寄付していたそうです。
このような活動をすることで、ウィンストンは良質で大きな宝石には、大きな資産価値を生むことを世に知らしめました。

また、58年には当時入手した話題の「ホープ・ダイヤモンド」や、
ナポレオン一世がマリールイーズ皇后に贈った275カラットの「ナポレオン・ネックレス」、
250カラットもある正八面体の見事な原石などの数々の宝石を、「スミソニアン国立自然史博物館」に寄贈しました。
そうした、一般の人々への啓蒙活動も行っていたそうです。

更にウィンストンは、宝石を原石からカットしていく事業も手がけて、
南アフリカで採掘された726カラットのダイヤモンド「ヨンカー」や、
ブラジルで採掘された726.6カラットのダイヤモンド「ヴァルガス」、
アフリカ西部で採掘された968.6カラットのダイヤモンド「スター・オプ・シエラレオネ」などの
名だたるダイヤモンドを世に送りだしてきました。
ウィンストンは、英国の王室に次いで世界で2番目に多くの歴史的価値のある宝石を所有している人物とまで呼ばれる程だったそうです。
サイズの小さなダイヤモンドとは違って、大きなダイヤモンドには、独特の美しさや高い価値を持つものだと
世に知らしめたその影響力は非常には大きいものでした。

78年ウィンストンは、82歳で死去しました。
その後、会社の経営権は息子の長男「ロナルド・ウィンストン」が継承しましたが、次男の「ブルース・ウィンストン」と10年に渡り争いが続いたそうです。
遺産の分割が、2人に対して半分ずつだったため、どちらが経営権をもつのか口論になってしまったんですね。
しかし、ハリーウィンストンの飛躍は続き、88年には、日本初の店舗を銀座に出店します。
89年には、時計事業を開始します。
しかしその後、2006年に「ドミニオン・ダイヤモンド・コーポレーション」というダイヤモンドの採掘会社に買収されます。
そして、2013年には経営権はスイスの「スウォッチグループ」の手に渡りましたが、
良質で大きな宝石を主とする上質のジュエラーとしての今も健在しています。