創業から170年以上経った今でも、多くの人から支持を得る
フランスの偉大なジュエラー「カルティエ(CARTIER)」
世界5大ジュエラーのひとつで、誰よりもいち早くプラチナを取り入れた「ガ一ランドスタイル」や
「ア一ル・デコ時代」に数多くの名品を生み出し、宝飾業界に大きな功績を残した物語。
今回は、その「カルティエ」の歴史について前回の続きをお話をさせて頂きます。
アール・デコで黄金時代を築く
カルティエの最も輝かしい時代であるのは、1910年代から第二次大戦までの30年間。
パリにはルイ、口ンドンにはジャック、ニューヨークにはピエールと
三人兄弟は、その三大都市の店を仕切っていたそうです。
家業としてのジュエラーがこれまでに見事な名品を出していたというのは、ジュエリーの歴史上で最高の事例となります。
そして、09年に、カルティエは「シャルル・ジャコー」という一人の天才的なデザイナーを採用します。
当初、ジャコーのデザインは流行のガーランドスタイルのやり方を受け継いだものでした。
しかし、第一次大戦の頃から、赤、緑、青、黒と強い色彩と、白のダイヤモンドやプラチナとのコントラストを主張するデザインへと変わっていきます。
アール・デコの特徴は、強い色彩のコントラストと、抽象的な幾何学模様を多く取り入れられたデザインです。
アール・デコの到来を最も象徴するのが、14年に作られた腕時計のべゼルに使われたパンテール模様です。
パンテール模様は白のダイヤモンドと黒のオニキスという強い色彩のコントラストで
表現されたヒョウ柄が特徴です。
歴史的に見てアール・デコ・ジュエリーと呼ばれるものには、大きく分けて2種類あります。
ひとつは、幾何学模様を中心に抽象的な線とフォルムのジュエリーです。
もうひとつは、装飾的なインド、エジプト、中国、日本などの文様を取り入れて、色石やエナメルで飾られる多彩なジュエリーです。
カルティエは、最初の幾何学模様のデザインをガーランド様式からの流れでブローチ、ネックレス、ブレスレット、腕時計に流用しました。
更に20年頃からは、プラチナにルビー、エメラルド、紅珊瑚、オニキスという鮮明な色彩の宝石を
ダイヤモンドのパヴェと組み合わせてた、カラフルなジュエリーを多く生み出していきました。
そして、カルティエがデザインに多用した模様には、最初はエジプト模様、
そしてインド模様、更に、中国や日本のエキゾテイックな模様が使われていました。
この30年代後半までのカルティエの作品は、そのデザインのユニークさや精密なつくりで、
近世のジュエリーのなかで確立した見事なものでした。
ビジネスに長けた一族
当時のカルティエの偉大さというのは、歴史に残る作品を生み出していきながらも、ビジネス長けていたことです。
手にしたものに不幸をもたらすという伝説を持つ「ホープ・ダイヤモンド」。
実は、この不幸話のほとんどは、ピエール・カルティエがアメリカ人にそのダイヤを売却する際につくった話だといわれています。
すごい話ですがビジネスマンとしての腕は素晴らしいものです。
そして、41年にジャック、42年にルイが相次いで死去します。
その頃から、急速に一族の中でカルティエ社の経営に関心が薄れていきます。
その理由は、不明ですがカルティエ一族の四代目の人々は、62年にニューヨーク、66年にパリ、74年にロンドンの店舗を売却していました。
そして、会社は企業グループに買収され、現在では時計、バッグ、衣類などを総合的に扱っている「リシュモン・グループ」の中心企業となり更なる盛業を続けています。
カルティエの170年以上続く長い歴史には、様々な物語があり、
今でこそシンプルなデザイン展開が広がっているいますが、過去には特徴を活かした凄みのある
名品を多く生み出していたんですね。
時代とともに変わり、進化してきたデザインやスタイルもカルティエの魅力なんだと思います。