歴史

ブシュロン(BOUCHERON)の歴史

ブシュロン(BOUCHERON)の歴史

厚い人望があり、名工に恵まれ、
一流へと登りつめていったジュエラー
時代の流れをうまくくみ取りカラフルなデザインが特徴の
「ブシュロン(BOUCHERON)」
創業から160年以上続く歴史の深いジュエラー。
ヴァンドーム広場にある「5大宝飾店グランサンク」のひとつでもあるジュエラーです。
今回は、「ブシュロン」の歴史についてお話をさせて頂きます。

ブシュロン

フランス人の「フレデリック・ブシュロン」(1830-1902)。
1844年、当時パリで有名だったアトリエ「ジュール・シェーズ」で修業をします。
その後、53年には小売店での修業を始め、
58年にパリのパレロワイヤルに店を開いたことが始まりだといわれています。

66年、ブシュロンはその店を拡大します。
アトリエを設立して主を「ジュール・デビュ」に任せました。
その年に、ブシュロンとしてのアトリエ刻印が登録されたそうです。

ブシュロンには、新たな商品を開発する能力よりも、人を引き付ける能力やビジネスセンスに長けていたそうです。
そのため、発想力や開発能力をもつ人材が常に周りにいたといわれています。
その、新たなアイデアを最大限に活かして進化し続けてきたことがブシュロンの生涯の特徴だといわれています。

人望のあるジュエラー

67年の、パリ万国博では、プリカジュールエナメルを使った鏡を出品して金賞を獲得します。
当時の作品は、現在では残っていませんが、その時期につくった作品は唯一無二の
非常に華やかで美しくものだといわれています。
赤、青、緑のエナメルにルビーやダイヤモンドの宝石を取り入れた、ブレスレットや飾り櫛などがあったそうです。

70年頃からブシュロンは、アメリカのジュエラー「ティファニー」のパリ支店長だった
「ギデオン・リード」との出会いが切っ掛けで、外国人への商売を始めます。
当時のティファニーは、多くのジュエリーをフランスから輸入していて、
その中にブシュロンから仕入れたものもあったそうです。

78年のパリ万国博では、再び金賞を獲得します。
ブシュロンは多くの名工を集めて、優れた作品をつくってきました。
フォントネイをはじめ、アトリエの主だったデビュ、ルグラン、メニュ、ティソットなど数々の有能な職人がいて、
なかでも、ボルディンクという職人は、ダイヤモンドに彫りを入れる技術を開発しました。
テーブル面が大きなダイヤモンドに、ナポレオン三世の頭文字の「N」や、王冠、十字架などを彫り、
そのダイヤモンドをぺンダン卜やブローチに使用してジュエリーをつくっていたそうです。
このことはブシュロン自身も認めるもので、創業130年記念として1988年に開催された
展示会で発行されたカタログにも記載されているそうです。

アールデコの時代

1893年、現在のヴァンドーム広場26番地に移転。
それまでにパレロワイヤルの店で使われていた内装は、
97年に開いたモスクワの支店にそのまま使われたそうです。

1900年には、名誉あるレジオンドヌール勲章を受賞します。
翌年、ブシュロンは会社の編成を見直して、息子の「ルイ・ブシュロン」(1874-1959)と
長い間、協力してくれていた甥の「ジョルジュ・ラディウス」と、ほか従業員2名を役員に加えました。

そして翌年、02年にフレデリック・ブシュロンは死去します。

後を継いだルイ・ブシュロンは、その後ロンドンとニューヨークに支店を開きます。
12年のトリノで開催された万国博では、そこでも金賞を獲得。

ルイは、時代の流れをうまく読み取ってシンプルで直線を生かしたアールデコ様式を取り入れていきました。
25年のアールデコ博覧会にも参加して、当時ブシュロンが使っていた職人ルネ・マッセとリュシアン・ヒルツの
作品は大きな注目を集めていたそうです。
30年には、イラン皇室が所有していたぺルシャ伝来の宝石の調査を王国から依頼されるなどとジュエラーとしての
信頼性も築いていました。
50年代には、ルイの息子「フレッド」と「ジェラール」が後を継ぎます。
80年にはジェラールの息子「アラン」が入社して家業を引き継いできました。

ブシュロンは現在でも、ヴァンドーム広場に健在ですが、経営はフランスの「ケリング」という企業グループに引き継がれたといわれています。