世界的に有名な日本を代表する老舗ジュエラー。
真珠の養殖に人生を捧げ「真珠王」と呼ばれた創業者の想い。
世界に名をはせた真珠の代名詞
「ミキモト(MIKIMOTO)」
創業から120年以上続く歴史の深い、ジュエラーです。
養殖真珠の創始者であり、日本ジュエラーの基盤を築いき、
世界と進出していった
ミキモトの歴史について前回に続き、後編のお話をさせて頂きます。
世界進出
11年に、初の海外進出としてロンドンに支店を開きます。
しかし、21年に、ロンドンとパリにおいてミキモトの「真円の真珠」は模造品だと噂を報じられます。
しかしその3年後の24年、「パリ真珠裁判」として民事裁判になりますが、
御木本側全面有利として勝訴し、終結します。
この時、「養殖真珠」とミキモトの名は、世界に認められるものへとなり、
更に広がることになったそうです。
またミキモトの真珠は、発明家であるエジソンもにも成しえることが出来なかったもので、
「養殖真珠ではなく、これは真の真珠だ」と認められるほどであったそうです。
27年には、ニューヨーク支店、
28年には、パリ支店、
31年にロサンゼルス支店と次々に海外へ支店を開いていきました。
その後戦争による苦難の時期を乗り越え、戦後にはいち早く来日外国人ヘの
お土産としての真珠を売りだす商売を考案し、復興に繋げたそうです。
しかし54年、創業者の「御木本幸吉」が無くなり、孫の「御木本美隆」が後を継ぎました。
高度成長期に入り、ミキモトは真珠を主体にしていた企業から大きく転身していきました。
主となる真珠にダイヤモンドや色石などの宝石を大胆に取り入れた、
日本きっての総合的なジュエラーとしての地位を築いていったそうです。
世界的にダイヤモンドで知られる「デビアス社」が主催する国際デザイン・コンテストでは、
ダイヤモンド・イン夕ーナショナル賞を数多く受賞しており、
創業100周年となる90年代の初めには、売上400億円を超えるなどと、
当時では、世界屈指のジュエラーとなっていました。
真珠は、現在でもミキモトの主となる素材として使われています。
しかし、欧州や欧米伝来のジュエリーに日本古来の独特の美を取り入れ融合されたデザインには、
「ミキモト・ス夕イル」と呼ばれる独特のものがあます。
世界のジュエラーと肩を並べてゆける唯一の日本ブランドといわれています。
素材の仕入れからデザイン、製造まで一貫管理されていて、
ここまで大きなジュエラーは世界的に見ても稀にないといわれています。
120年以上も続く日本の老舗ジュエラーは今も健在していて、
近年の若者層に向けた新たな動向にも非常に興味深いものがあります。