日本でも多くの人に愛され、親しまれている世界での代表的なジュエラー
アメリカの「ティファニー(TIFFANY)」
世界5大ジュエラーのひとつで、創業してから2人の天才デザイナーによって今に繋がる基盤や後世に残るティファニーセッティングを生み出してきた歴史があります。
今回は、その「ティファニー」の歴史について続きのお話をさせて頂きます。
2人の天才デザイナー
1879年、ティファニーに2人の天才が入社します。
黄金期のティファニーの魅力をさらに高めることになる重要な人物です。
1人目は、「ジョージ・クンツ」(1856-1932)です。
20歳と若くして、自身がニュージャージー州で集めた美しい宝石を持ってやってきたそうです。
若者を快く受け入れるティファニーの心の寛容さを感じるエピソードですが、
実際にその才能を見込んで採用されます。
そしてクンツは、アメリカに限らず、世界中をまわり新しい宝石の開発をしていきました。
モン夕ナ州で採掘されたサファイアやミシシッピー州の河川から採れた淡水の天然真珠など様々な
宝石の開発をしていき、
更には、自身の名前が宝石名となったピンク色の「クンツァイト」も有名です。
これは、ジュエラーであるティファニーの格を一段と上げる素晴らし収穫でありました。
2人目は「ポールディング・ファーンハム」です。
正規採用になったのは85年ですが、
この頃から1910年頃にかけて、ティファニー全盛期の主力商品を手掛けた才能高きデザイナーでありました。
最初に手掛けた傑作は、89年のパリ万国博に出品されたアメリカの野生植物の蘭を
多彩な工ナメル細工で描いたブローチです。
本物と見間違える程の出来栄えに天才と呼ばれる存在だったそうです。
更に、クンツが入手してきた色とりどりの宝石や真珠を使い自然をモチーフにした、他にはない明るくて多彩な作品を数多く生み出しました。
そして、ティファニーはパリ万国博で89年と1900年と2度、多くのグランプリや金賞を獲得しました。
その後、ティファニーは新らたなダイヤモンドのセッテイング(石留め)法を開発して発表します。
今では、有名な「ティファニーセッティング」と呼ばれるダイヤモンドのセッティング法です。
六本の爪を使ってダイヤモンドを高く持ち上げてセットすることで、ダイヤモンドの裏面や側面から光が入り込み、屈折を繰り返すことで
正面から光を放ち、よりダイヤモンドの輝きが増す効果があると注目されました。
今では、科学的にこの原理は解明されていますが、当時誰も思いつかなかったこのセッティングに
ティファニーはその豊富な経験値でいち早く気付いたのだといわれています。
大恐慌の時
これまで歴史に残る輝かしい功績を収めてきたティファニーですが苦悩の時期もありました。
1887年に、フランス政府は世紀の愚挙に乗りだします。
その時に、ブルボン王家以来のフランスの王家が集めた膨大な宝石類一部を除いてすべて競売にかけられました。
総額680万フラン以上の売上のなか、ティファニーが落札したのは20万フラン強という最も高額な買い手となりました。
しかし、その後ティファニーが取った行動で一気に株が下がってしまいます。
落札したフランス王家伝来のジュエリーを、一度壊して宝石のみを使い新たなジュエリーへセッティングして
つくり直して、
更に、それが王室のものだと書を添えて販売しました。
その行動が、欧州の人々から相当の反感をかうことになりました。
そして、1902年、創業者である「チャールズ・ティファニー」の死去。
後を継ぐものとして、息子の「ルイス・コンフォート・ティファニー」(1848-1933)の存在はいましたが、
彼が継ぐことはなく、工芸家としても有名なルイスは、作家としての工房を持ちながらティファニー社のアート・デイレク夕ーに就任します。
この時から、ティファニー社の経営が傾く傾向へとなったそうです。
そして1908年には、デザイナーのファーンハムはルイスと合わず退社します。
ルイスが手掛けるジュエリーも発表されていて、半貴石とガラスを組み合わせてつくられた美術工芸的な
独特なものだったそうです。
しかし、ルイスはステンドグラスなどの作家として有名なですが、本来の興味がある個人の活動に専念する為、
18年ティファニー社を退社します。
四年の大恐慌、そして第二次大戦などを経て、トップのいないティファニー社は漂流を続けました。
その後、フランス人の「ジャン・シュランバージェ」など新たに数々のデザイナーを加え、新路線を目指していきます。
しかし、55年には高級百貨店のボンウィット・テイラー社、79年には化粧品のエイボン社がティファニーを買収します。
最終的に84年にはある投資会社から資金を得て、再び復活しました。
現在では、企業グループの「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」が買収し、今でも盛業をあげています。
歴史のあるジュエラーというのは本当に家業であると思います。
一族のなかで一人でも優秀な人材がいればそれだけで隆盛になり、
その人を取り巻くの有能な人が消えるだけだ、衰退することもあるんですね。