ルーツにはカラフルなアールデコ様式が特徴のジュエリー
広報にも積極的に取り組んできた異色のジュエラー
「モーブッサン(MAUBOUSSIN)」
創業から190年以上続く歴史のもありますが、ブランドとしては20世紀のジュエラーともいえます。
ヴァンドーム広場にある「5大宝飾店グランサンク」のひとつでもあるジュエラー。
今回は、「モーブッサン」の歴史についてお話をさせて頂きます。
![](https://blog.kofu-jewelry.jp/hiroesano/wp-content/uploads/2021/05/shutterstock_1842900556-1024x684.jpg)
二十世紀の広報ジュエラー
フランス人「ロシェ」と後継者「ジャン・バプティスト・ヌーリー」の2人が、
1827年に、アトリエを開業したことが始まりといわれています。
パリのサンマルタン港から近くのグルヌタ通りで、高い技術を持った職人がいて、
更に、ラテンアメリカに顧客を持っていたアトリエを買い取って開業したそうです。
その後、事業は順調に続き78年のパリ万国博で銅メダルを獲得しました。
そして、アトリエで修行を積んだヌーリーの甥「ジョルジュ・モーブッサン」は21歳の時、
83年に経営に加わり会社は大きく変化することになりました。
1923年、ヌーリーの後継者となったモーブッサンは、ショワズール通りにアトリエを移転させました。
そこは、大きな建物でアトリエの配置を見直しましたモーブッサンは、
宝石細工職人とダイヤモンドの研磨職人を最上階に、
デザインや石留職人、研磨職人は2階に、
1階には店舗や展示場を配置することにしました。
更に、店舗の窓は通りに面していなかったので顧客が買い物をしやすい環境をつくっていたそうです。
そして、多くの在庫を持ち28年から31年に渡り、3度の展示会開きました。
その展示会は、それぞれ「エメラルド」、「ルビー」、「ダイヤモンド」とテーマがあったものでした。
すると、話題を集めて客だけではなく、フランスやアメリカの報道関係者をも驚かせることになったそうです。
近代的な思考を持っていたといわれるモーブッサンは、当時から報道の力を上手く利用して
広報というもの価値を理解していたんだといわれています。
そして、モーブッサンは、「ヴォーグ」や「ヴァニティフェア」などの
ファッション誌からも認められる存在へとなりました。
その評判はたちまち広がりを見せて、
ニューヨーク、リオデジャネイ口、ブエノスアイレス、ロンドンなどに出店することになったそうです。
カラフルで個性的なジュエリー
創業は19世紀初めですが、モーブッサンの歴史とすれば
20世紀の比較的に新しいジュエラーともいえます。
モーブッサンのジュエリーはカラフルなジュエリーが多かったそうです。
アールデコの時代とともに水晶、珊瑚、オニキス、翡翠、真珠母貝などの個性のある比較的安価な素材を使ってジュエリーをつくっていましたが、
一方で、世界的に知られる、インドで発見された「ナサック」という三角形の89カラットのダイヤモンドの原石や
南アフリカで発見された「ポーターローズ」という153.50カラットのダイヤモンドの原石といった大きなダイヤモンドも
売買するほどのビジネスを発揮しています。
パリの解放後1946年以降に、ヴァンドーム広場20番地に拠点を移します。
息子「ジャン」、孫の「パトリック」と営業を続けて現在も健在していますが、
フランスの多くのジュエラーが大手投資グループの傘下に入る中、モーブッサンは今でも独立した経営を保っているところは素晴らしいことだと感じました。