ダイヤモンドについて

何故婚約指輪が出来たのか②

何故婚約指輪が出来たのか②

婚約指輪にダイヤモンドリングを贈るが文化が何故出来たのか。
私が読んだ本にとても興味深い内容があったので
一部抜粋してまとめたものをご紹介させて頂きます。
前回に引き続き、全6回中の第2回目をご紹介させて頂きます。

―帝国設立までの道のり―

今から150年前、ダイヤモンドは実際、数が少なく全世界で産出されるダイヤモンドの原石は年間数ポンドにすぎなかった。
その中でもとりわけ高級なものは、ゴルコンダダイヤモンドで、インドのゴルコンダ地方で産出された。
しかし信じられないほど産出量が少なく、18世紀初期までには全て枯渇したかにみえた。

しかし1886年突如としてダイヤモンドは特別なものでも、希少性があるものでもなくなったのだ。好奇心旺盛な少年、エラスムス・ヤコブが南アフリカのオレンジ川で大きないびつ形の結晶(21.5ct)を発見したのだ。
そして1869年、オレンジ川で羊飼いの男により2番目の発見があり、そのキャラット重量は83.5ctあったこの石に「南アフリカの星」という名前を付けた。
その石は最終的にイギリス貴族に売却され、南アフリカ産のダイヤモンドを世界中に広めるきっかけとなった。

これがダイヤモンドラッシュの始まりで、それ以降の結婚産業界をすっかり変えることになる。

「ダイヤモンド市場全体の完全独占」を目標に、セシル・ローズはデビアス社を設立した。
セシル・ローズ少年が一人で南アフリカにやってきたのは1870年のことだった。セシルはイングランド生まれである。

セシルは南アフリカで最初綿花農園を経営していたが、当時南アフリカがダイヤモンドラッシュの真っただ中、綿花栽培よりダイヤモンド採掘のほうに魅力を感じ1871年、今度はいわゆるニューラッシュ地帯へ行った。
ローズはダイヤモンド事業に乗り出すにあたり、坑内員に坑内の水を汲みだすのに必要な道具を貸し出した。
ローズはレンタル事業から上がる収入で鉱山の権利を買い、更に買い増しを続け、のちに信じられないほどの世界的独占企業に成長していくのであった。 

しかし、最初から、デビアスの目的はダイヤモンドの供給を独占するだけではなく、ダイヤモンドの供給についての私達の認識そのものを支配することにあったのだ。

引用・参考文献
エイジャー・レイデン、2017年、「宝石 欲望と錯覚の世界史」、築地書館

世界的にダイヤモンドが採れなくなり、ダイヤモンド産業は危機的状況だったその当時、新たに発見されたダイヤモンドが南アフリカで大量に採れたが
その希望が見えたものの、この先再びダイヤモンドの価値が下がってしまうのではないかと誰よりもいち早く気が付いたのがセシル・ローズだったそうです。

次回はセシルローズが設立したデビアス社による
「デビアスの印象操作」です。